振 り 向 か な い こ と さ
……は別にいいとして、またも今更に見ました、通称で「さよ朝」
監督・脚本は岡田麿里 制作はP.A.Works 公開は2018年の2月。
この繋がりを見て私は「あ、『花咲くいろは』の……」とか思っていたら、
演出に長井龍雪さんも入っており『あの花』とか『ここさけ』を彷彿とさせる。
これを書きながら、初めてPV見ましたけど、もうそれをゴリ押ししてんのね。うん
……んでまあこのタイトルを私が知ったのは、周囲がTwitterで騒いでいたからで、
当時の周囲の評価も「溜め息が出るほど綺麗な映像に浸れた」という感想が多かったイメージ。
んで当時の私はと言えば、
Twitterを中心点とした創作企画に熱が入り始め、同時にスマホのゲーム『アイドルマスターシンデレラーガルズ スターライトステージ』にハマり始めた頃合いで、ちょっと映画はいいかなー、なんて思っていた頃………見送ってしまいました。
そしてついさっきに、DVDを見終えたわけですはい。
いや泣いたね。ボロボロになっていたね。
だけどこれを「良い映画である」というわけにはいかんのや、というなんとも微妙な気持ちになっているのも、また一つの素直な気持ちでもありまして……。
あれだろ? お涙頂戴で泣かされただけなんだろ?
……というわけじゃないんですよ。そも「お涙頂戴」という言葉が、
「本編を見ながら「あーはいはいここは泣かせるシーンだろはいはいかなしーかなしー」とシラけしまっている人間の発言」
だと考えているので、そうじゃなくボロ泣きしてしまっている人間が言えるモノじゃなくなっているはずなんですよ。
じゃあ泣くほどの映画なのか? というかお前の涙腺が脆いだけだろ? というのを自分の立ち位置含めて説明します。
PV見て確信したのは、話のオチはとっくに見せていること
冒頭で・数百年も長生きする一族の女の子が主人公であること/別れの一族と呼ばれていること
・フレーズ『愛したら本当の一人になるから、愛してはならない』『一人ぼっちが一人ぼっちと出会った』
……が示されている段階で、明確なんですよね。
「あ、これ寿命モノか!」と。
※寿命モノ――人間の人生100年弱と、それ以上を生きるエルフだとかヴァンパイアだとか、俗に『中世・西洋・ファンタジー』系フィクションの生き物たちの、出会いと別れ、愛し合っていてもいずれ片方が朽ちてしまうというネタ。
おそらく、ある程度詳しい人ならその時点までは察しがついていることでしょう。
ちなみに本編でも、冒頭でその部分の情報は提示されるため、私自身も「あーはいはい出会いと別れがあるんだね」とは思っておりました。
タイトルで「もう別れがオチに来るんでしょ。死ぬとかそういう、はいはい」と思ってはいました。
……そう、その時点の私の気持ちは、明らかにシラけている人間のそれなんです。
いちいち美しすぎる画面は、その信憑性を損なわせる
PVにもある通り、俗な『近世・西洋・ファンタジー』な世界観を基盤とし、豊かな自然や鉱石資源の建築物が背景として並んでいます。中世っぽい? いやいや、鉱物資源を採っていたりと鉄鋼場があったりと、世界史でなら産業革命の後なので、近世であっているはずです……というかそれまで含めて狙いでしょうし。
P.A.Worksのアニメ――特に『花咲くいろは』で、
撮影技術は素晴らしいものの、やはり小さな場所にある反射光とかが大好きなんだろうという印象は変わらず、健在な様子。
――陽光を浴びて鏡のように煌めく水たまり、宝石のように輝く葉っぱの端にかかった水滴。そういう細かな反射光が、ともすれば光源である太陽の光よりもキラキラ光っている。
個人的に『花咲くいろは』で、それは主人公が目の前の日々を精一杯にがんばる(=ぼんぼる)姿という青春模様の演出として機能していますが……
さて今作の世界観として、それは合っているのか? と聞かれると微妙な気持ちになります。
鉄鋼業の工場が並ぶ一帯の酒場、という場面にまでそれを使う必要があるのか? というのは否めない。
確かに描写こそされている、口元を覆う布巾がなかったせいで煤に黒ずんでいる目元や、見るからに炭鉱夫たちの汗臭そうな汚れきったシャツが溢れている。細かなディテールにまで手が行き届いている。
…しかしそんな画面で構成されている中でキラキラがあると、その汚れ加減に対して浮き上がって見えて、むしろその生活感さえ損なわせているように印象します。
「え、そんなに綺麗な場所だっけ?」「この時代ってそんなに小綺麗でいられるんだ……それほど器用な道具があるようには見えないけど」などなど。
むしろ、世界観をあまり見せていない類の映画に対して、生活感が欠落するのは非常にまずいんじゃないか……そんな気さえしています。
そんなことを思ってしまった自分――という段階で、映画を見ている真っ最中にも関わらず、映画から距離感を感じてしまったのは言うまでもありません。
じゃあこの映画の何が「泣いた」の?
・オチが見えてシラけている・映画の世界観や生活感から距離を感じた
……この段階から、私はある一点でこの映画がひっくり返ったと思っています。
主人公の視点で三幕構成をするならば、
第一幕で「それまでの生活との別れと、自分の人生の寄る辺を見つけた出会い」
第二幕で「人生の寄る辺としてある程度の位置を確立して、関係性を構築した」
……の後、第二幕の後半。
冒頭から連なる不安からのセントラルクエスチョンは終わり、本題が始まる段階。
キャラクターたちの叙情。
特に、エリアルという少年が大人になることへ意識を向き、そして育て親から顔を背ける、反抗期とも呼べるだろう転換。
このあたりから途端に、主要人物の台詞が叙情的に変貌していくのが、この映画の特徴とも言えます。
叙情的になるからこそ、自分がそれまでに見てきた映画とは違う点を見つけることができ、同時に「いやそこはもっと本性を隠すような挙動にこじれてくるもんだよ」と反感を呼びかねないものになる。
――そんな空気の転換を感じながらも思わされたのは、
主人公の女の子――マキアが、ただの女の子だったはずなのに、母親という存在とは何なのか、自分はそれに相応しい姿になっているのか、という葛藤が浮き彫りになっていくことでした。
そして物語は第三幕を迎え、一際大きな事件を迎えていく。
その中で様々な思いがぶつかって、すれ違って、こじれた愛は燃え上がる。
……あー、なんで岡田麿里の描く男には、ゆきあつを具体例に、こういう「無垢な時代の心をいつまでも大切にし続けたまま成長した結果として他の色んなモノを歪にこじらせてしまった男」が出てくるんだろうな、とも。
画面はどんどん暗く汚れていく中で、主人公は本当に綺麗な昔の時代の衣装を、なんの説明もなく着ている。
…物語の文脈から紐付ければ「昔の綺麗なままの生活を取り戻して、その間をすっぽり忘れてしまおう」という意図から持ち出された衣装だ、という主旨があったのかもしれませんが……。
そこで思わされたのは「冒頭にあった生活感が本当に綺麗すぎるままで保たれていたから、この煤けた時代の世界観でさえ、主人公には輝かしい刺激に溢れていたのかも知れない」ということ。
少女が母親になっていく中で、一種の逞しさを身に備えていくのは言わずもがな。そのために一種の汚らしさを感受していくのは必然とも言えるでしょう。
母親という存在…あるいはそのテーマである時点で、人生や生活感を抜きにすることはできない。
煤けたり陰謀がドロドロする城下町の生活こそが、主人公マキアにとっては青春と甲乙つけがたい、成長の煌めきがあったんだろう。
そんなことを思ってしまった段階で、自分はこの無駄とも呼べるほど綺麗な世界観を「確かに子供のころだったら夢見ていたかも知れない世界だ」と肯定しました。
岡田麿里という監督が描いた世界観と時代設計が、なんとなく掴めてきました。
『ドラゴン的な存在が絶滅危惧種/主人公たちの一族もそれを追うように、歴史からひっそりと姿を消していく最中である』
――という構図は、なるほど親から子へという世代交代のメタファーとしても機能すると共に、
世代交代とは別に一人の人生の輝きもまた、歴史から消えゆく存在の慟哭と同じく、輝かしく見えるだろう、と。
そして、「寿命モノ」物語としてのラストを――「さよなら」を迎えます。
私の心はすでに、マキアという聖母様を見上げるような心境でした。
……………これが………これが………………………バブみ………ッ……!!
○というわけですごい映画です! おすすめです! ……以上!
と言いたいけど最後に一つだけ。
「こんだけ読み解かないといけないほど作り込んだことを評価したい。
でも一回見てすぐにそれを全部わからせるには難しすぎるくせに、
それだけじゃない別の夢まで織り交ぜてあるから、
それを理解するにはしんどいぞこの映画」
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