2019年1月26日土曜日

『ズートピア』とはなんぞや

なんなんぞや

なんとまぁ『インクレディブル・ファミリー』や『シュガー・ラッシュ・オンライン』まで出回っているというのに、
なんで筆者は今更すぎる『ズートピア』なんだ。

……いや見てたんですよ? 見てたんですよ劇場公開の終了間際で。
でも疲弊が溜まっていたのかあんまり頭に入らないまま終わったせいか特に発言すらできないまま、印象は薄れて、終わったんだけど。


さて「なりたい自分になれるという夢は潰えて都会の荒波に超ヘトヘトなオノボリ田舎っ子」というウサギの主人公はなんだか、新宿のコクーンタワーに通い始めたものの単位を落としまくる自堕落生活を謳歌する学生さんみたいだね、みたいなくだらない印象はさておいて。

「肉食動物と草食動物は、フィクション上ではいがみ合うものである」

という言葉を突然に言われて「そりゃまあそんなもんでしょ」というバイアスを持っている人たちはきっと、先述のオノボリ田舎っ子の文章にさえほんのり草を生やしていたのかもしれない。

「そりゃ食物連鎖から考えればそう考えてしまうのもおかしくないよな」
という前提条件が知識としてあるからなのだろう。

そうじゃないというのなら、どうするんだよ? ――的なことまで含め、一瞬だけ考えさせられたのがズートピアという映画だった。
あくまで一瞬だけ、である。


「差別とは意識して行われるものなのか?」

YESと思った人の考えはたぶんこうだ。
「俺も過去に傷ついた経験がある」「あれはあからさまな悪意だった」「だから故意的だ」
うぇいうぇいうぇい。まあとりあえず席につくんだ。
いつも飲んでいるコーヒーをアイスにしよう。ガムシロは追加で2個ぶちこんで、ゆっくり話そう。だが君の過去の話はしない。もちろん筆者のもだ。

NOと思った人の考えがわからんわけでもない。
「うっかり口が滑ったんだ」「でもあながち間違っていない部分だってあるぞ」「だから受け取り方次第だ」
おーきーどーきー。保身のための正当化は思考停止からの自堕落を招く。
コーヒーはとびきりホットにして、香りを楽しもうじゃないか。

……厳密な正解があるとすれば「どちらか片方でいいはずがない」。
どちらかと問われればどちらかになろうとするのが白黒はっきりしたい人間のエゴなのか、自分はこうであると定義することで安心しておきたいサガなのか。

悪意はある。うっかりもある。それを決めるのは受け取った側なのは確かだが、故意的かどうかを隠すことだってできる。


ズートピアという世界観の面白いところは、一見して「超・バリアフリーの行き届いたテーマパークのような景観」にあるのだろう。楽しそうっすね。

そんな背景や小道具をガン無視するかのごとく、語られる物語は「所詮ウサギ!」「狐は姑息!」という、潔いまでの偏見オンパレード。

そんな二人がタッグを組んだ!? 草食と肉食、相性は抜群なのか!? とか言っている場合じゃない。
冒頭から、狐が狡いことをやっているなと思いきや、主人公格のウサギも随所随所でひどい屁理屈をこね回している。
「ペンを柵の向こうへ投げた場面」ならばネタバレを回避できるだろうか? おめぇ相棒をそんな扱いするのか、と言いたくなるレベルだった。

……ともかく自分の目に見えたのは、このタッグは超人ヅラして正義の心を語るタイプじゃなくて、トムとジェリーじみたダーティペアだ、ということだ。

このウサギ、「1日で100件やれ」と言われたら「昼までに200件やってやる」というどこぞの営業マンが口角泡を吹きそうなことを、鼻を鳴らして掲げてみせる。
「自分は有能です」と上司に進言するのも躊躇がない。なんか怖そうなマフィアにだってズケズケとモノを言う。
……こいつ身の程知らずだなぁ、と思わせるぐらいが小気味よく、ちょうどいい。


さて先述に立ち返ろう。
「Q.食物連鎖的にいがみ合わないならどうするんだよ?」
「A.食物連鎖がなくたって人間もいがみ合ってきただろ」

第二幕で一度、最初に示された事件のセントラルクエスチョンが終わったかと思いきや、新たに生じた問題の幕開けを示したのは間違いなくウサギだろう。

「だって事実を言っただけ」と見事に開き直りかけたウサギ。

所詮はウサギ! と一気に抑圧されてきて「差別しないで!」と声高に叫ぶウサギにさえ、そのバイアスはあるんだぞ、と。
その事実こそが差別であり偏見を持っていることの証左なのだとようやく悟ったのだった。

第二幕の敵が示す理想は、思想が一致しない者の淘汰と多数決の暴力。
「世界をより良くする!」と意気揚々と言っていたウサギはどうやって世界を良くするのか?

……え? ウサギ? どうやったの? ねえウサギ? あっちょっと待って、あ、そうやって終わるの? あっ、そう。

一瞬だけ考えた、というのはその終わり方がそうだったから、というのもそうだ。

が、考え始めるとキリがない話題でもある。
「自分が常識であると思っていたものは実は偏見だとしたら?」にカルチャーショックを足してみるとわかる。

「えー! 外国とか地方とかってこんなことやってんだー!」と自分の常識が揺るがされることに対して
「じゃあ今まで間違っていた」とか「きもーい」など、とにかく次の印象を言葉にした直後に「これすらも偏見なのでは?」をぶつけてしまい、永劫のいたちごっこを反復する羽目になる。

「動物が人間っぽい動きしているー!」というデザインで「これは擬人化という人間主体の偏見を皮肉るところまで想定された映画なんじゃないか?」なんて部分まで考えてしまう。

とりあえずよくわからない部分は放置してガゼットさんの歌で踊って吹き飛ばそうぜ。

そんな映画でした。

2019年1月17日木曜日

TVアニメ『エガオノダイカ』について

超・久々! ……の連続なのでいい加減、今年はブログらしい何かができると良いね。
具体的にはアニメとか映画の感想をやりたいよね。

ということで某サイトにて「応援します」と宣言したTVアニメ『エガオノダイカ』についてつらつらやっていこうかな、と。

~ クッソ長い前置き ~


“タツノコプロの55周年記念作品”というのが最初の印象なので……

「お前タツノコ!
 『夜ノヤッターマン』は中だるみがひどい構成で!
 『Infini-T Force』も劇場版で企画倒れにさせおって!
 『ガッチャマンクラウズ』は超面白かったし大好きだけど、受け入れ難いタイミングで受け入れ難い内容の二期にしおって!」

という罵倒を真っ先にやってしまう。

監督は鈴木利正さん。
 ロボットモノという点では『ナデシコ』の超・ビッグネーム:サトタツの下で『輪廻のラグランジェ』をやっていた、というのが印象深い。続いて自分の記憶だと『とある飛空士への恋歌』かな。

それを気に、一度アニメから離れかけていた身なので細かく・詳しくは覚えていない。

だが最近の流行や物語の連続性を眺めていくと、
ロボットアニメは大好きな身としては、ちょっと微妙な心境/近況であった。

「昭和の時代に台頭していたヒロイックなロボット像は、ガンダムとマクロスによって兵器としての側面を作り、ボトムズでそれを増長した結果……エヴァでロボットらしからぬ視点と設定を持ち込まない限り、その記号性を活かすことができなくなってしまったのではないか?」

「兵器としての側面を見るにも、ストライクウィッチーズに始まり艦これ、ガルパンと掛けてきた『萌えミリ』の系譜に食い潰されるのではないか? というかむしろそれが、ゼロ年代が終わった10年台以降の物語文脈として正しいのではないか?」とさえ思っていた頃だった。

何しろ大注目されていたビッグネーム『ダーリン・イン・ザ・フランキス』は、
メカ好きなら盛り上がれるシチュエーションと、エヴァの系譜であるロボットらしからぬ設定や画面構成をふんだんに盛り込んだ作品であるにも関わらず、脚本の尺の配分や、主軸である少年少女たちから世界と大人への問いかけを、見事に不完全燃焼のまま片付けてしまったからである。
奇しくもエヴァが完結していない今、エヴァを踏襲しようとした構造のアニメが故に、たどるべき必然だった……と考えればうなずいてしまう。

だが「いやそうじゃないことだってできるでしょ」と言いたくなってしまうのは、
『蒼穹のファフナー』の第1話=露骨なほどの「うわぁこれ第三新東京市やあ!」を見てから、最新作の『EXODUS』に至るまでを見続けてきたから、かもしれない。

だが『シンカリオン』が、ロボットモノが今一度、新しく子供向けとして生まれ直して再びヒロイックになる……というのも捨てがたいし、その夢は是非ともわかちあいたい。


……それはさておいて、私のようなオタクはどうなるのか?


『ガンダムUC』から『NT』への系譜は喜べるだろうか?
『鉄のラインバレル』を「マンガでも最高にロマンを詰め込めるロボットものの金字塔」に終わらせていないか?
『フルメタル・パニック』以後、小説媒体でも楽しめるロボットを見ていないから何度も周回してしまうのは懐古主義なのか?
『ゼーガペイン』を「SF要素にフィーチャーしたロボットもの」として舞浜の空へ想いをはせ続けるのか?

ロボットアニメへの追求心は、好きだからこそ呪いのように深く、また同時に、新たなロボットアニメへの登場は祈りのごとく祝福して迎えなければならない。


――そんなところに出てきた『エガオノダイカ』だ。


設定を見る限りでは、「かなり本腰を入れた兵器らしい側面のメカ」として、それも「ガッツリと人類同士の戦争中」である設定だ。
人型巨大兵器という側面で見るメカなら、誰もが憧れるシチュエーション。

最近作では『ブレイクブレイド』が実にノスタルジー溢れる哀愁の人間ドラマを描いてくれているが……

ぶっちゃけよう。
「え? 大丈夫? このアニメ、昨今よくありがちな「とりあえずアニメーターに仕事を振るために作るしかなかった企画」としか受け取りきれない、ハシにもボウにも引っかからないで終わりかねないんじゃないの?」
と思っていた。

……さて複雑な己の心中をぶちまけたところでアニメ本編のバイアスは変わらない。

本編を見ないことには始まらないのだ。


~話数ごとの感想が並んでいく~


・第1話 (視聴:2019/01/17)

まず冒頭で描かれるのは「これが少女の物語」であることだ。
「15歳だと大人の仲間入り」と言葉にある通り、思春期を経て大人になっていく少年は、在田の目には今のところ「気合と根性!」を叫んで無鉄砲に突っ込む存在に見える。
一方で王女様としての主人公らしきヒロインは12歳。無邪気で無垢で優しい少女。

ここさえわかればいい、とばかりに説明に徹していた印象で、物語となる部分は1話の最後だけだ。

……正直アニメの第1話は「世界観や主要人物を並べる段階が忙しくて、話を盛り上げるのは難しいのでは?」と思っている自分がいる。

確かに世界観は特殊だ。
・どうやら地球っぽい惑星から移民した直後で、ようやく土着できたばかりらしい。
・すごいエネルギーを生み出す鉱物があるらしいが研究はそこまで上手く行かなかったらしい。
・王族制がある主人公側の国家で、しかし早速それを避難する状況が生じている。

中盤でとにかく説明に徹していたので、早速モニョっていた自分もいた。「今それ説明する必要ある?」と。

脚本が黒田洋介ならば「説明は後に回し、第1話ではインパクトをつけるために、いきなり状況の変化を冒頭に持ってくる」という手法をとる……が、確かに並んでいる情報を見る限りでは「そこまでの状況を持ってくる必要もないなら、説明を前に持ってきたのかな?」という印象で完結した。

んで、模擬戦という形でロボット同士の戦闘が入り込む。
パイロットスーツは光り、メカは細かいギミックが動き、3DCGの良さを活かしたカメラワークが炸裂する。
ああ、良い……これ、これが見たかったんだ、と唸るシーンは様々あった。
が、模擬戦だと裏付けされてしまうと盛り上がる印象さえ見せてくれない。

だが「ロボットが歩道橋をくぐる」ってのを見たかったのが叶ったために、それで満足でもある。

そして物語の引き……期待するじゃん?
王女は知らないで戦争するんだという少年たちの踏ん張りと、それを知らずにあれこれと都市で希望をはせらせるヒロインという主軸になるんかな? と……。

・第2話 (視聴:2019/01/18)

物語について語ろう……とはいえほとんどない。
というのも、ロボットであれ異能であれ剣術であれ、バトルシーンをバトルシーンとして濃密に見せようとすればするほどに、バトルシーンへ尺が割かれて本筋と反れてしまうのが、エンタメ的な映像媒体のサガでもあるからでもあり、
この話数で一番やりたかったことであろう「決定的なターニングポイント」のため、フラグや雰囲気の醸造で忙しなかったためでもある。

1話を見終わった後、上記の文章を書いても尚、あまり余った期待感が表出した、

そして2話を見終わったばかりの……
ついさっきの私

……さて、一息ついて噛み砕こう。
第1話は見事なまでに「少年少女の物語ですよという顔」をしていた。
が、しっかり冒頭の一言目では「とある少女の物語」と言っていた。
そう始めから、この物語の主人公は、戦場に立たされたあの少年ではなく、あの少女なのだと。

まんまとミスリードに踊らされていた自分を恥じると共に、遊び半分とは言え予言を的中させた自分へ拍手を送る。

次いで、気になるポイントは物語のセントラルクエスチョンだ。
1話で見事に「少年少女が戦争に巻き込まれる物語」というミスリードをして、見事に盤面をひっくり返した、次以降はどうなるのか?

順当に見ていれば思うのは、少女の復讐劇に似せた快進撃だ。
1話で奇天烈な発想にて戦況をひっくり返した/2話で戦争の盤面ゲームをやってみたいと言った……というポイントからすれば、『コードギアス 反逆のルルーシュ』第一期のような敵軍勢を如何に叩き潰すかという勝負をかける……など。

実際に戦闘シーンでは、平野で陣形っぽく見せかけていたかと思えば、早速大混戦という、中世もびっくりな戦い方をしているのだ。
カメラワークやギミックはやはりかっこいいために、これは姫君の快進撃をする余地として、世界観の戦法を低めのハードルとして設けたのではないか? とも考えられる。

だが物語そのものはそうならないことはOP――ひいてはCパートで示唆されている。

敵側の主人公格とも呼べるだろうキャラクターたちが一気に並んだ。
物語構造において、まず出てくるのは『ロミオとジュリエット』的な系譜だろう。
一国の騎士/対立国の姫。そこがどう出会い、そしてどう和解していくか……。

そういう話になるんだろうなと期待しつつ、
だが主人公がショックに翻弄されることこそ次の話の役目だろうと思って、
一方的な想いを馳せらせることにしよう。


・第3話 (視聴:2019/01/25)

「戦争モノ」において戦災孤児というのはとても使いやすい小道具として機能する。
子供という無邪気な存在に、戦争という大人の事情が噛み合って人情を煽ることに、抵抗なく納得できる――というやつである。

あ、がっつり敵視点を描くのか。そう来たか……というのが見終わった自分の感想だ。

それまでの主人公だった姫様は物語からフェードアウトして、前話のCパートで出てきた敵国の騎士たちを、戦災孤児という小道具を用いてドラマを生み出した…という紹介パートとしての話だった、と考えれば適切だろうか。

「敵国が食料に飢えているからゴリゴリ攻撃してくる」という事情と合わせて、
「敵国側の主人公は、戦災孤児を相手にしてちょっと心が傷んだかな、と思わせておいて実はかなり冷酷な人間」という印象を持つことができた。

戦災孤児たちに恨まれ、顔もバラされることまで承知でやってのけた、地味に人情味溢れている隊長が「イカれてやがる」と発言して〆るのも納得である。

前話で急展開を迎えていたお姫様たちとは対象的に、淡々とした印象があっても実に味わい深い話の構成となっているために、この話は面白かったと言っておきたい。

テウルギアこと巨大ロボが、食料の入り込んだ要塞の中でどう動くか、というのは一つの見どころであったし、人間と巨大ロボが連携して作戦を進行するのも、あまり見ないためにぜひとも見ておきたい部分だ。

……さて今後、殺さずに逃したあの戦災孤児たちを伏線に用いても良しだし、もう一話で敵側の部隊へ急展開が訪れても面白そうだろう。

順当に考えればもう一話で急展開を訪れさせて、もう少し渋い人間味を出させるか、そのためのフラグを仕込むだろうか。

だが何より、
……どちらにせよ自分が一番楽しみにしたいのは、「お姫様がショックをどう受け入れるのか? あるいは受け入れきれていない状態なのか?」「どれほど最悪なタイミングでお姫様と冷酷そうな敵国の騎士が会うか」である。

さすがに次の話では……厳しいのかもしれない。




……

…………

………………

あの、すみません。諦めました。許して……許して……。