なんとまぁ『インクレディブル・ファミリー』や『シュガー・ラッシュ・オンライン』まで出回っているというのに、
なんで筆者は今更すぎる『ズートピア』なんだ。
……いや見てたんですよ? 見てたんですよ劇場公開の終了間際で。
でも疲弊が溜まっていたのかあんまり頭に入らないまま終わったせいか特に発言すらできないまま、印象は薄れて、終わったんだけど。
さて「なりたい自分になれるという夢は潰えて都会の荒波に超ヘトヘトなオノボリ田舎っ子」というウサギの主人公はなんだか、新宿のコクーンタワーに通い始めたものの単位を落としまくる自堕落生活を謳歌する学生さんみたいだね、みたいなくだらない印象はさておいて。
「肉食動物と草食動物は、フィクション上ではいがみ合うものである」
という言葉を突然に言われて「そりゃまあそんなもんでしょ」というバイアスを持っている人たちはきっと、先述のオノボリ田舎っ子の文章にさえほんのり草を生やしていたのかもしれない。「そりゃ食物連鎖から考えればそう考えてしまうのもおかしくないよな」
という前提条件が知識としてあるからなのだろう。
そうじゃないというのなら、どうするんだよ? ――的なことまで含め、一瞬だけ考えさせられたのがズートピアという映画だった。
あくまで一瞬だけ、である。
「差別とは意識して行われるものなのか?」
YESと思った人の考えはたぶんこうだ。「俺も過去に傷ついた経験がある」「あれはあからさまな悪意だった」「だから故意的だ」
うぇいうぇいうぇい。まあとりあえず席につくんだ。
いつも飲んでいるコーヒーをアイスにしよう。ガムシロは追加で2個ぶちこんで、ゆっくり話そう。だが君の過去の話はしない。もちろん筆者のもだ。
NOと思った人の考えがわからんわけでもない。
「うっかり口が滑ったんだ」「でもあながち間違っていない部分だってあるぞ」「だから受け取り方次第だ」
おーきーどーきー。保身のための正当化は思考停止からの自堕落を招く。
コーヒーはとびきりホットにして、香りを楽しもうじゃないか。
……厳密な正解があるとすれば「どちらか片方でいいはずがない」。
どちらかと問われればどちらかになろうとするのが白黒はっきりしたい人間のエゴなのか、自分はこうであると定義することで安心しておきたいサガなのか。
悪意はある。うっかりもある。それを決めるのは受け取った側なのは確かだが、故意的かどうかを隠すことだってできる。
ズートピアという世界観の面白いところは、一見して「超・バリアフリーの行き届いたテーマパークのような景観」にあるのだろう。楽しそうっすね。
そんな背景や小道具をガン無視するかのごとく、語られる物語は「所詮ウサギ!」「狐は姑息!」という、潔いまでの偏見オンパレード。
そんな二人がタッグを組んだ!? 草食と肉食、相性は抜群なのか!? とか言っている場合じゃない。
冒頭から、狐が狡いことをやっているなと思いきや、主人公格のウサギも随所随所でひどい屁理屈をこね回している。
「ペンを柵の向こうへ投げた場面」ならばネタバレを回避できるだろうか? おめぇ相棒をそんな扱いするのか、と言いたくなるレベルだった。
……ともかく自分の目に見えたのは、このタッグは超人ヅラして正義の心を語るタイプじゃなくて、トムとジェリーじみたダーティペアだ、ということだ。
このウサギ、「1日で100件やれ」と言われたら「昼までに200件やってやる」というどこぞの営業マンが口角泡を吹きそうなことを、鼻を鳴らして掲げてみせる。
「自分は有能です」と上司に進言するのも躊躇がない。なんか怖そうなマフィアにだってズケズケとモノを言う。
……こいつ身の程知らずだなぁ、と思わせるぐらいが小気味よく、ちょうどいい。
さて先述に立ち返ろう。
「Q.食物連鎖的にいがみ合わないならどうするんだよ?」
「A.食物連鎖がなくたって人間もいがみ合ってきただろ」
第二幕で一度、最初に示された事件のセントラルクエスチョンが終わったかと思いきや、新たに生じた問題の幕開けを示したのは間違いなくウサギだろう。
「だって事実を言っただけ」と見事に開き直りかけたウサギ。
所詮はウサギ! と一気に抑圧されてきて「差別しないで!」と声高に叫ぶウサギにさえ、そのバイアスはあるんだぞ、と。
その事実こそが差別であり偏見を持っていることの証左なのだとようやく悟ったのだった。
第二幕の敵が示す理想は、思想が一致しない者の淘汰と多数決の暴力。
「世界をより良くする!」と意気揚々と言っていたウサギはどうやって世界を良くするのか?
……え? ウサギ? どうやったの? ねえウサギ? あっちょっと待って、あ、そうやって終わるの? あっ、そう。
一瞬だけ考えた、というのはその終わり方がそうだったから、というのもそうだ。
が、考え始めるとキリがない話題でもある。
「自分が常識であると思っていたものは実は偏見だとしたら?」にカルチャーショックを足してみるとわかる。
「えー! 外国とか地方とかってこんなことやってんだー!」と自分の常識が揺るがされることに対して
「じゃあ今まで間違っていた」とか「きもーい」など、とにかく次の印象を言葉にした直後に「これすらも偏見なのでは?」をぶつけてしまい、永劫のいたちごっこを反復する羽目になる。
「動物が人間っぽい動きしているー!」というデザインで「これは擬人化という人間主体の偏見を皮肉るところまで想定された映画なんじゃないか?」なんて部分まで考えてしまう。
とりあえずよくわからない部分は放置してガゼットさんの歌で踊って吹き飛ばそうぜ。
そんな映画でした。
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